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【2024/05/16 06:58 】 |
廿日市の古刹「洞雲寺」周辺の現在と過去(1)
   【2008年5月8日撮影】                     2e4b8097.jpeg                           
今、市内で一番昔の面影が変わっている地域。それは廿日市市佐方1071-1  曹洞宗 洞雲寺周辺です。
洞雲寺は桜尾城址の北、現在のJR廿日市駅の北にそびえる極楽寺山麓南側に位置する曹洞宗の寺院です。長享元年(1487年)、今から520年前、厳島神社神主藤原教親が、当時、西の京といわれ文化の中心であった周防の龍文寺の金岡用兼禅師を招き開山した神主家の菩提寺です。
境内には厳島神主家であった藤原氏一族と、藤原神主家が滅んだあと桜尾城に関係した毛利家の桂元澄・毛利元清夫妻及び厳島合戦で毛利元就に敗れ
 
た敗将の陶晴賢など廿日市市内で戦国時代の歴史上有名な侍の墓が今でも残っている名刹です。
◆曹洞宗とは、1227年道元によって日本にもたらされた、臨済宗とならぶ禅宗の二大宗派。
◆周防とは、旧国名のひとつ。山口県南部・東部に相当。防州。
◆神主藤原教親(のりちか)
◆金岡用兼禅師(こんこうようけんぜんじ)
 e3af99c7.jpeg【2007年9月14日撮影】
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【2011/04/25 08:42 】 | 歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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