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【2024/04/29 15:49 】 |
西国街道
b681dbaa.jpegその時代時代に生きてきた人々が思いをはせてきたであろう歴史ある一つの道「西国街道」が広島市の南西部に位置する海と山に囲まれた自然豊かな町廿日市市に今も残っている。
古代の道、山陽道は古代より京都と九州の太宰府を結ぶ重要な幹線道であったが、江戸時代、京都から江戸に都が移り、江戸を中心とした五街道に次ぐ脇街道としてその重要性は変わらず、寛永10年(1633)参勤交代制度の確立とともに西国大名、長崎奉行、幕府の要人の往来する旧山陽道として整備された。広島藩は旧山陽道を「西国街道」と称した。
9f410852.jpeg

街道の整備は宿駅(宿場)を設置、道幅2間半(4.5㍍)とし、1里(4㌔)ごとに街道の両側に土を盛り、えのきなどを植えて、距離を示す目印とした一里塚を設けた。
廿日市では、1里ごとに一里塚松があり、街道の両側に3間(5㍍強)ごとに街道松が植えられていた。
北側に位置する街道松は日をさえぎらないので用無しとしたとかしないとか。唯一大東に現存の街道松は今も街道の南側に息づいている。







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【2011/04/14 22:51 】 | 歴史
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