忍者ブログ
  • 2024.04
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2024.06
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/05/15 23:15 】 |
安芸国厳島神社の棚守房顕(たなもりふさあき)のこと
0a959173.jpeg 
棚守房顕は、父玄顕(はるあき)の子として明応三年(1494)に生まれ、その子は元行である。「芸藩通志」には、佐伯房顕、大永・天文の頃(1521~1554)、棚守職にして社の事を奉行す、大内、毛利の時に當って勞ありしこと、影弘が績(いさおし)に継ぐといふべし、房顕手記一巻あり、今棚守家に蔵す、當時の事を雑記して、社の故事に預ること亦多し」とある。
棚守房顕が名をなしているのは、「後を先へ書き置くなり」としながらも厳島神社の祭りごとの記録、社参者のこと、大内、毛利のこと、厳島合戦のこと、洪水被害の修復に苦慮していること、島中禁制のことなどを記した『房顕覚書』を残していることである。





PR
【2011/04/23 09:23 】 | 歴史 | 有り難いご意見(0)
<<高欄の擬宝珠(こうらんのぎぼし)棚守房顕銘刻印 | ホーム | 廿日市市 極楽寺 御本尊御開帳>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>