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「大願寺文書」315号により、永禄四年(1561)毛利元就・隆元父子が再建した厳島社大鳥居造立(ぞうりゅう)の祭、「廿日市塩の座新左衛門」が一貫文を寄進していることを前回で触れました。
座(ざ)は、平安時代から戦国時代まで存在した主に商工業者や芸能者による同業者組合のこと。朝廷や貴族・寺社などに金銭などを払う代わりに営業や販売の独占権などの特権を認められた(1)。 塩は沿岸島嶼部で生産される生活に必需な商品である。廿日市は物資の集積地としての機能を持ち、陸・海上交通の拠点としても重要な機能を果たしていた。 塩座(しおざ)とは中世日本において塩・塩合物(しおあいもの・・塩ずけにした魚)を扱った塩商人による座で、「新左衛門」は座の長(おさ)とか呼ばれる有力商人であったと考えられます(2)。 新左衛門ののち、享保三年(1718)大願寺文書318号「嚴島廻廊棟札寫」札數百十四枚のうち、安藝國(藝劦)・備後國・雲劦・石劦・周防國(防劦)・長門國(長劦)・備中國・豫劦・九劦豊前國・筑前國等からの寄進がみられ、中でも、廿日市からは天正二年(1574)當國廿日市塩屋与三左衛門尉をはじめ、天正十八年廿日市住池田清左衛門尉、天正廿年廿日市住植木清左衛門尉の名がみえる。 註1) 「座」ウィキぺディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7 註2) 「廿日市町史」通史編Ⅰ 廿日市町 昭和63年 424頁. 図) 「廿日市町史」通史編Ⅰ 424頁 「塩の座周辺図」 大願寺文書318号「嚴島廻廊棟札寫」 広島県史古代中世資料編 Ⅲ所収 PR |
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