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屋根は桧皮葺、光明丹(1)で錆(さび)どめを施され、本社火焼前(ひたさき)より八十八間の沖合に佇む。奈良の大仏と同じくらいの十六メートルの高さを誇る木造両部(りょうぶ)鳥居である。神庫所蔵の古文書を按るに暦仁二年殿舎修造の注進状に、大鳥居の初見あり寛元仁治にも社と同じく改造(あらためてつく)る、正應年間舎屋重蔵の奉書は文略にして詳ならず、鳥居の事いかがやしらず。
大願寺の記録に弘安九年十月十九日再建正中二年 六月二十五日大風に破北朝應安四年四月再建天文十六年 大内義隆再建永禄四年 毛利元就・隆元再建正徳六年七月二十日夜倒壊 元文四年九月五日落成 (百日・五萬人を要す)安永五年七月七日雷火に焼失 享和元年四月二十五日落成 役夫四萬千五百五十人 嘉永三年八月七日夜大風に棟木(2)破損。風致に害ありと藩命にて取り去る 明治八年七月十七日上梁。明治三十七年八月二十七日西柱の鐡輪に落雷も面目に變ずるに至らざり。 巷間、平安末期以来、明治八年の建立で八代と云われている。
ところで永禄四年(1561)大願寺文書315「嚴島社大鳥居造立時(ぞうりゅうじ)古文書中寫帳」の11「大鳥居造立合力米(ごうりょくまい)等注文寫」 嚴嶋大鳥居御合力米之事 に小早川(隆景)・吉川(元春)各百俵、當社棚守(房顕)内儀 五貫文泉刕堺商人衆 卅貫文, 廿日市塩の座新左衛門 壹貫文,, 桂能登守(元澄)十俵, 大殿(毛利元就) 五拾俵百貫文 云々と名が見え、桜尾城主の桂元澄、元就親子と並び、廿日市塩の座の商人新左衛門や堺の商人たちが、合力米(ごうりょくまい・施しを与えるための米)に替え金子で寄進している。 PR |
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