棚守房顕は、父玄顕(はるあき)の子として明応三年(1494)に生まれ、その子は元行である。「芸藩通志」には、佐伯房顕、大永・天文の頃(1521~1554)、棚守職にして社の事を奉行す、大内、毛利の時に當って勞ありしこと、影弘が績(いさおし)に継ぐといふべし、房顕手記一巻あり、今棚守家に蔵す、當時の事を雑記して、社の故事に預ること亦多し」とある。
棚守房顕が名をなしているのは、「後を先へ書き置くなり」としながらも厳島神社の祭りごとの記録、社参者のこと、大内、毛利のこと、厳島合戦のこと、洪水被害の修復に苦慮していること、島中禁制のことなどを記した『房顕覚書』を残していることである。
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