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四月十七日(日) 日本三景の安芸の宮島を眼下に望
む、絶景ビューにある標高663mのもみの原生林に囲 まれた極楽寺山山上にある上不見山浄土王院極楽寺 において、御本尊 十一面千手観音菩薩坐像が御開 帳された。坐像高206センチの一木造りで、およそ千年 ほど前の平安中期の作と伝わる。 寺伝によれば、天平九年(737)行基が当山頂の杉の霊 木で千手観音を刻み、本堂を建て開山した。その後、 弘法大師が開眼供養され、寺の再興がはかられた。 極楽寺の変遷について、諸控に『文治三年後鳥羽院 御願依り佐藤則清再建天文十年四月焼失永禄五年 八月毛利元就朝臣御再建』とある。平安中期以降でき た極楽寺本堂は破損したので、今から821年前、後鳥 羽院の御願依り、文治三年(1187)に佐藤則清
(のりきよ・・・・義清・範清とも書く・・・・西行法師の俗
称)により再建した。ところが、天文十年(1541)に焼失 してしまったのである。そして荒廃していたので、永禄 五年(1562)八月 毛利元就が再建したのである。 かって当寺院にも求聞持堂があった。木造板半肉彫 虚空蔵菩薩像(木造版はんにくぼりこくぞうぼさつぞう )が本尊であり、現在は阿弥陀堂内にて保管されてい る。求聞持堂は、百日間、
百万遍の真言を唱える密教最大の苦行であるという
修行の場である。 虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)は『ノウ ボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリボリ
ソワカ』の真言を百日間 百万遍か五十日間で二百
万遍、つまり一日一万か一日二万遍唱和するのであ る。五十日間だと一日
二回(一回一座一万遍を二座)拝む。一座およそ六時
間を二座とはまさに苦行である。 延宝年の鐘の鐘銘(しょうめい)によると、600数十メ ートルもの山にある当寺の鐘を賊が盗んでしまったと いう。いったいどうやって麓まで運んだものやら。古く は平清盛・大内・毛利・豊臣秀吉・福島正則などが庇 護していたが、江戸の世に入ると、徳川幕府は厳島 神社をはじめ極楽寺など一切の寺社に対する支
援交付金は拠出しなかった。そのため極楽寺は、宝
永元年・天明八年・寛政二年・文政三年(1820)など の修理は、有力大檀那の尽力によりなされ、今に伝 えられているのである。 PR |
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