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1 2012/04/09 [宮島に古くから伝わる「幸紙(さいわいがみ)」] 2 2012/04/18 [430年前のヨーロッパで知られて「Itoqulchima」] 3 2012/04/18 [仮説 「内侍岩伝説」の疑問-音戸の瀬戸の通行と関連-] 4 2012/04/19 [厳島合戦の年号について] 5 2012/04/20 [一世一元の制] 6 2012/04/20 [改元と称元] 7 2012/04/21 [日本三景由来の源典] PR |
治世途中の改元だけを「改元」とし、帝王の退位により新帝王の即位による元年は「称元(しょうげん)」と呼んで区別することがある。
後花園天皇(ごはなぞのてんのう)は、室町時代の第102代天皇である。 (在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)― 寛正5年7月19日(1464年8月21日))。 正長2年9月5日後花園天皇は、代始(だいはじ)めにより永享(えいきょう)に改元以降、嘉吉(かきつ)・文安(ぶんあん)・宝徳(ほうとく)・享徳(きょうとく)・康正(こうしょう)・長禄(ちょうろく)・寛正(かんしょう)と7回も改元する。 改元の種類 1.代始改元(だいはじめかいげん): 天皇の代替わりによる。一般には即位や践祚(せんそ・皇位継承)の翌年に改元される。 2.祥瑞改元(しょうずいかいげん): 吉事・吉祥を理由とする。飛鳥・奈良時代に多い。 3.災異改元(さいいかいげん): 天変地異・疫病・戦災などの凶事に際してその影響を断ち切るために行われる。 4.革年改元(かくねんかいげん): 讖緯説(しんいせつ・中国で、前漢から後漢にかけて流行した未来予言説)による革令 (甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)に改元する。 5.その他: 室町時代以後、将軍の代始に行われた改元など。 |
一世一元の制(いっせいいちげんのせい)とは,元号を君主(天皇、皇帝、国王)の在位中には変えない制度。
明治政府は、慶応4年を改めて「明治元年」とするとともに、一世一元の詔で天皇一代につき一元号とする一世一元の制を定めた。日本の場合、明朝や清朝とは異なり、君主が交代した日にすぐ新元号を適用する「即日改元」が実施された。 1979年(昭和54年)6月6日には元号法が成立した。昭和天皇崩御を受けて、「平成」の元号が定められ、一世一元が継続されている。 「参考Web: 一世一元の制(いっせいいちげんのせい)」 |
安芸の国の毛利元就と陶晴賢の「厳島合戦」は弘治元年10月1日と弘治元年と錯誤されてきましたが、弘治に改元されたのは天文24年10月23日です。
弘治改元理由:兵革 改元日:天文二十四年十月二十三日 出典:「北斉書」:「祇承二宝命一、志弘二治体一」/選者:菅原長雅 弘治元年10月1日の時点では、改元前であり、厳島合戦は、正しくは天文24年10月1日と天文24年にすべき。 |